2006年 06月 05日
幻のレストラン・バスタパスタ |
20程前、原宿神宮前、東郷神社向いFACEビルB1階に100坪ほどのレストランが出来ました。
オーナーは杉本尉二さん。
彼は、日本で初めてのレゲーライブの店ホットコロッケやバナナパワー、第三倉庫など東京をリードする幻のお店をいくつも生みました。東京生まれの東京育ちで、又周辺のメンバーも全てかっこいい、今流チョイ悪おやじ、いや思い切り悪おやじ達でした。彼らは30代中盤、私は20台前半でした。
この当時、私もまだ若くこの人達についてまわりお手伝いをさせて頂いたり
一緒に毎日食事をしたりアート論議をすることがとても楽しい毎日でした。
何がすごいかって、イタリアンレストランが完全フルオープンキッチンで料理人がスター。
まるで劇場のごとく全てが出来ていた。来る人たちは、ファッション関係、アーテスト達や不思議人々。誰もが長蛇の列に並び順番を待つ。クラブ待ちのようなその光景がParis やLondon, NYで見たそのままでなんともかっこよかった。
あの鉄人キッチンのモデルはまさしくバスタパスタです。
シェフにスポットがあてられる時代が到来、裏方が主役に登場しました。
そして、何と初代シェフが山田宏巳さん。その後も多くのバスタOBスターシェフが生まれた。
カノビアーノ植竹さんレストランテ浜崎さん,ミキータ北見さんポルセッコ栗本さん達がいる。
シェフだけではなく、今話題の、麻布ハウスの城倉さんもOB、サーバーが主役の新しいお店をつくりました。現在バスタはオーナーが亡くなり原宿のお店はもうありません。
でも今もNew Yorkの5thAvと6thAvの間17丁目にあのバスタパスタは健在です。
オーナーはバスタ創業メンバーの一人鈴木俊彦さんにより継承されている。コアメンバーには
Tiffanyのジュエリースタジオで仕事をしている新倉憲明さんも健在。
予約が取れない、とてもはやっている日本人によるイタリアンレストラン。
ありとあらゆるお客さん、スターやアーティト達に支持されておりNYで
もう15年を過ぎようとしています。
東京では1960年代のカルチャーをリードしたレストランキャンティは有名です。
1980年代はやはりバスタパスタがリードしたと思います。
幸せなことに私も新しいカルチャーを創造した中心人物達に可愛がられそして参加できました。
杉本さんが亡くなる前に最後の仕事を一緒に私がsirukaで表現しました。
彼らの精神と同じく常に新しくあれ、そしてオリジナリティー、クリエイティブであれを目指します。
その当時のカルチャーシーンを創造した人たちが、新しいアイデアを熱く議論する姿が今でも目に浮かびます。現在もそのような人たちにより新しいカルチャーが創られている事でしょう。
その生み出し役が出来ることはとても恵まれた人たちですが、神様は平等に才能を与えてはくれません。 だから我侭でもアーテストは美しい。
尊敬する人たちに、これからも私の表現できる方法で見せてみたいと思います。
語りたいことは山ほどありますが、又思い出しながら書きます。
同じくFACEビル3階にあった幻のArt Gallery FACEのことも書いてゆきます。
それでは又
by reiko_sakai
| 2006-06-05 14:11
| 遊び